独り言劇場、開演

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

 日記なんて、考えてみれば同世代人には不要なものかもしれない。生のデータを得られない代わりに二次情報を自分が考えることを補足加工してただひたすらに書きつくる。それだけでは何の生産性も無い作業だ。メモ書きだって、たまれば資料になるけれども、だからと言ってその場で何かを生み出すわけではない。
何かを生み出すためには時間が介在し、一個体が変容するのを待つか、もしくは他者に読まれ、相対化されることによって議論が起こることが必要だ。

 後の世においてネカマの祖(!?)と呼ばれる紀貫之は果たして、後世に文学作品を残してみようと言う野心はあったのだろうか。それとも暇つぶしで書いたものがたまたま受けたのか。まぁ、どうでもよい話しだ。

 ウリには、どうせたいした才はないニダ。何のために書くのか、サッパリ分からないニダ。

 


つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 やっぱり、徒然草気分ですな。
 怪しゅうこそものぐるおしけれ。始まりはこんなものがいい。
 分からないことは聞くのが簡単だしね。
 ただタグが分かんないのに書くのは疲れるけれど。
 という事で、わらくひAtisが興味持った政治経済・社会・オタ話などを勝手に怪しく書きつくりまする。自己責任で御取り扱いくださいな。
 批判反論テキトーに。